昨年出合った上野誠先生の万葉オペラに感動して、今年も奈良へ。上野先生の奇想天外なオリジナルなオペラはとにかく面白くて盛り上がる。東京からわざわざ出かけても、得をした気分になる。
今年は先生自身の来し方を振り返った感懐と「万葉の風」をテーマにした物語。定年を迎える万葉学者が夢想しているうちに、大和を吹く風たちが集まって、飲めや歌えの大宴会が始まる。しかし、万葉歌合戦は決着がつかない。最後は今日のことは今日のこと、明日のことは明日のこと、「風」たちのやることだから「風まかせ」という結末で終わる明るいオペラだ。
今年は音楽もしまっていた。作曲家でピアニストの河合摂子さんの気持が盛り上がったのだろう。男性の明日香風、春日風、生駒風、泊瀬風、女性のときめき風、うらみ風、老婆風、ゆいの風の歌合戦が盛り上がり、大合唱となる見事な曲だ。その上、なら100年会館のラボ公演だから、出演者の熱気がムンムンするのも、他のオペラに無い雰囲気だ。
上野先生に出会ってまだ日が浅いが、これほど進化して行く人は珍しい。学術研究、著述、脚本・・・。
どれも周りの人たちの気持ちを盛り上げてしまう上野誠先生にブラボーを連発したい。(2014年2月23日・なら100年会館で万葉オペラを観終えて)
パリ、オルセー美術館のクロード・モネの絵「庭の女たち」の前で、家持の歌を思いました。巻19の巻頭の秀歌です。この歌は当時もてはやされた中国の「樹下美人図」に影響されたとされていますが、家持の心象としては、もっと光がキラキラした世界を歌にしていたのではないかと思ったのです。
春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ(巻19-4139)
今野訳=春の園が紅に照り映えているなあ。桃の花が輝く下の道に、今まで見たことがない乙女が立っているではないか。
この歌は「春の園 紅にほふ」の二句目で、一呼吸おいて鑑賞する歌です。家持の館の庭は広く、東にゆるやかに下ってゆく道があったと思われます。その道に桃の花が夕べの光を照り返し、輝いている情景の歌です。
生活を共にして間もない妻の姿が、桃の花の色に染まって、今までになく艶やかに見えたのでしょう。新婚時代の時のような妻への憧れ、充実感が伝わってきます。妻とは言わずに「出で立つをとめ」としたのも家持らしい表現で、幻想的な絵画の世界に誘ってくれます。
天平勝宝2年(750)、陽暦春4月の夕べの歌ですが、家持の歌には時空を超えた現代性を感じさせる不思議な力があり、大好きです。(2014年2月13日)
万葉集の入門者の方から「どんな歌が名歌なのですか?」という質問を受けます。その時、私は「あなたが出合った歌で、好きになれた歌が名歌です」と答えています。
万葉集には四千五百余首の歌があります。その中には、入門書を読んで直ぐに身近に感じる歌と、歌の良さを理解するのに時間がかかる歌があります。また、解説された先生の話が面白く、心に残る歌があります。きっかけはどうでも、万葉集を楽しむためには、自分が気に入った歌を名歌と思い込むのも良い事です。
額田王の歌で具体的に考えてみましょう。
秋の野の み草刈り葺(ふ)き 宿れりし 宇治のみやこの 仮蘆(かりいほ)し思ほゆ(巻1-7)
熟田津(にぎたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出(い)でな(巻1-8)
どちらも名歌ですが、今、あなたはどちらの歌が身近に感じ、口ずさんでみたいと思いますか。古代の歌ですから、どちらも解説書にも目を通し、歌の意味を理解することが大切ですが、すぐ心に飛び込んでくる歌はどちらですか。声に出してみたい歌はどれですか。あなたの心を動かした方が名歌です。
歌は古代から戦前まで、日本人には身近なもので、誰もが口ずさむ歌でした。ですから歌の調べ、歌の心が誰にも飛び込んで来るのが良い歌ではないでしょうか。
今年の新年歌会始めの歌では、私は次の五首が大好きです。
慰霊碑の 先に広がる 水俣の 海青くして 静かなりけり
<天皇陛下>
歳月は その輪郭を あはくする 静かに人は 笑みてゐるとも
<選者・永田和弘さん>
いなづまの またひらめきし 静かなる 窓ひとつりあり 夜をひとりあり
<入選・伊藤正彦さん>
ひとり住む 母の暮らしの 静かなり 父のセーター 今日も着てをり
<入選・山口啓子さん>
静けさを 大事にできる 君となら 何でもできる 気がした真夏
<入選・樋口盛一さん>
どの歌も、詠みあげる歌を聞いただけで、歌の情景、素直な作者の気持が伝わって来るからです。万葉集の歌も、歌の情景、作者の気持が素直に伝わってくるのが名歌ではないかと思うのです。(平成26年1月27日)
今年の初講義は13日でした。講義が終わり、一人遅れて近くの蕎麦屋に入ると、受講生のUさんと一緒になりました。
「今日の家持の講義は舞台が越中でしょう。私の最初の赴任先が富山でしたから、懐かしい川の名前がいくつも出て来て…」
「そうでしたか。じゃあ、国府址の伏木や氷見の辺りにも?」
「あの辺りからの立山連峰は実に見事、家持も立山の賦を作っていますね」
「白雪の連山が海に浮かぶような感じですからね。あの風景に出合って、珠洲(すず)の海の歌がまた好きになりましたよ」
珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり(巻17-4029)
今野訳=能登の珠洲の海に朝早く船を出して帰路につき漕いで来ると、長浜の浦に着いた時には、もう月が照り輝いていた。
「長浜という地名はなく、色々な説がありますが、国府近くの雨晴海岸の辺りを歩くと、その先の穏やかな浜が長浜なのでしょうね。四、五句の調べが伸び伸びと落着いていて大好きです。長浜に着き、安堵して立山連峰の辺りをのぞむと、そこに月が照り輝いていたというのでしょう。歌の品格がありますね」
この日は、Uさんの高校の恩師で歌人の玉城徹先生、片山貞美先生の話も出て、二人は歌を肴においしい蕎麦になりました。(平成26年1月13日)
市民講座で困ってしまうのが、五七七、五七七の調べの旋頭歌です。人麻呂の歌集に多い歌です。その命が短かったので、その後の時代の感覚からすると、雅な歌の世界ではやはりつまらない歌なのかもしれません。
ところが、1月の学会で発表された専修大学の大浦誠士先生の研究「旋頭歌の成立と衰退」が実に面白い内容でした。恋の素材と当時のユーモアにメスを入れたからです。
海の底(わた) 沖つ玉藻の なのりその花 妹と我れと ここにしありと なのりその花 (巻7-1290)
伊藤博訳=はるか沖の彼方に靡く美しいなのりその花よ。あの子と俺とがここに一緒にいると『な告(の)りそ』の花よ。
謎かけのように上三句で、宴席の人たちの「なのりその花」の想像が膨らみます。少し間をおいてから、下三句で「あの子と俺が一緒にいることは誰にも話しちゃいけませんよ」と笑いをとる。実におしゃれな大人のユーモアです。
先日、五歳の孫に「おじいちゃん、パン作ったことある?」と尋ねられ、「あるよ」と答えると、「おじいちゃん、パンツ食ったことあるんだって!助べえね」とはやし立てられ、皆の笑いを取って楽しんでいました。
旋頭歌がもてはやされた万葉時代には、人びとは我々よりずっと無邪気な童心と、おしゃれな感性を持ち合わせて「恋」の世界を楽しんでいたのかもしれません。(平成26年1月11日)
正月七日、上野の都美術館の書道展で、ハッとした作品に出合いました。近づいてみると、その歌は、木簡の出土品に出てくる「難波津の歌」でした。
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春へと 咲くやこの花 伝・王仁博士
今野訳=難波津にこの梅の花が咲きましたよ。冬の間、春が訪れるのを待って籠っていましたが、今はもう春がやってきたと、この梅の花が咲きましたよ。
伝承では、仁徳天皇の即位を喜んで、王仁博士が奉った歌とされています。調べがゆったりと広々としていて、その雰囲気が感じられます。
古今和歌集の序文には、浅香山の歌と共に、歌の父母と紹介されていて、百人一首のカルタ取りの序歌になることもありますし、私の万葉教室でも序歌として音読することがあります。
ただ、残念なことに万葉集には採録されていません。理由は分かりません。でも、奈良大学の上野誠教授から頂いた論文によりますと、万葉時代の寺の行事には、 この歌の木簡を歌詞カード代わりにして、皆で唱和したのでは?と考えられるということですから、古代の夢が広がります。
ちなみに、書家の佐野玉帆先生は、結句を「木の花」の説の表現にして、柔らかさの中に力強い明るさで見事な作品に仕上げていました。 (平成26年1月7日)
万葉ファンが元旦に思うのは、やはり家持の歌ではないでしょうか。万葉集の納めの歌で、万葉集全体を祝福しているような目出度い歌です。
「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事」
(巻20-4516)
この歌の命は、「年の初めの」と「初春」の解釈です。「年」には作物の「ひと実り」の意味があり、「初春」は立春です。その二つが重なった目出度い歌です。この意味大切にして、私はこんな訳にしています。
『新しく年が改まって、豊作を願う年の初めの日、そして立春の日と重なる目出度い今日の日に、豊作の瑞兆となる雪が降っているではないか、今日降る雪のように、佳い事よ、積り積もってくれ』
人生の中で一番苦しい因幡の国司だった時に、こんな素晴らしい歌で万葉集を締めくくった家持は、私の憧れの人になっている
*金文の「年」の文字は、実りの穂と千を組み合わせた字になっています。
(2014年1月1日)